最近は新聞購読をしない世帯が少なくないようです。特に若い世代の核家族世帯の定期購読者は減少傾向にあるのではないかと想像します。
ちなみに我が家は地元紙S朝刊を購読しています。全てに目を通せるわけも無く、勿体無い気がしないでもありませんが、毎日、何かしら、「ふふ~ん、ナルホド」と思わされる記事に出会います。それはニュースであったり、コラムであったり、読者投稿であったり様々。
月々3000円・・・高いか安いかは読み手次第ですが新聞も中々、いいモンです。
今朝はちなみに・・・。
孤独と向き合おう・・・っていうカンジの文章に目を留めました。近年私も思っていたことなので、激しく同感!「そうよ!そうだよ!」
ご興味をお感じの方は是非紙面にて。
以下私の雑感・・・。
近年、ぼんやりと過ごす人を見かけなくなりました。駅のホーム、車内、公園、喫茶店(カフェ?)・・・。ぽっかり空いた時間ができると、老若男女すぐにケータイを取り出し、メールやら、ゲームやら、ネットやら、挙句の果てには歩いている最中、自転車に乗って・・・。本の読む人の姿さえレアに感じる昨今。元来、ヒマな時間はニンゲンが自身と向き合い、対話をするのに最適な時間だったはず。特に若い世代には、そんな時間が豊富に用意されている必要があるのではないでしょうか?
「ヒマじゃ~!」
そんな時、ケータイが無ければ、PCがなければ、「空間」を埋めるべく、無限の選択肢の中から何かを生み出そうと思考するでしょう。家族や友人と、他愛も無い話をしながら過ごすこともあるでしょう。
結果、何も思いつかない。ぼんやりして過ごす(他人から見て)、ふと学校のこと、友人のこと、恋人のこと、将来の夢や不安に付いて考え始める。それが自分自身と向き合うことであり、その時間が人生を歩む力を育むのではと思います。
幸か不幸か私達が思春期、青年期初期を過ごした時代にはケータイもなく、PCも一般的なツールではありませんでした。振り返れば、その時なりに色々なことを考え、想像妄想し些細なことで1人悩み、過ごしてきた青春でした。沢山本も読みました。
Pass time・・・。時間つぶしに相当する英単語。時間をやり過ごす・・・。そのプロセス如何でその個人のもつ、精神的な「深み」が左右されるように思います。
「そんじゃあ、アンタは、そんなに深いのか?!」
こんなツッコミはご遠慮ください・・・(笑)