昨日来、新聞や各マスコミが大きく報道している記事。当県南部の工業地帯で発生した海底トンネル工事での死亡事故。一瞬にして5名の尊い命が失われるという大惨事。元請は日本の最大手ゼネコンの鹿島建設。しかし犠牲になったのは、その下請け、と言うよりも、更に下、2次、3次の下請け会社の作業員。今も昔も変わることはないのでしょうが、シゴトが下に降りれば降りるほど工費は安く抑えられ、どうしても安全面の徹底が困難になってくると予想されます。
一つの現場、一つの事故。そこに資本主義社会の(って言えば大げさかもしれませんが)縮図を感じずにはおれませんでした。
特に、亡くなられた作業員の皆様の出身地を目にしたとき・・・。北海道、五島列島など、所謂「出稼ぎ」の方々が危険作業に従事されているのが現状。元請の社員は現場に出向くことさえあるのやら無いのか・・・。有ったとしても汚一つない作業服をスーツの上に纏って革靴を履いて視察・・・される程度なのでしょう。
出稼ぎ。こんな言葉を久しぶりに思い出しました。豊かになったといわれる日本。しかし今でも、この過酷な出稼ぎ労働で支えられる世帯が多くあるという現実。
私の祖父(母方)は、その出稼ぎ労働者でした。冬になると雪に覆われる県北の寒村。随分歳を重ねるまで現金収入を得るために年の半分を、大阪など大都市で過ごしていた様です。
終戦、そして高度経済成長時代・・・。日本の繁栄を支えた影の力は祖父のような出稼ぎ労働者だったはず。
私が中学校に上がるころ亡くなった祖父。それ故、祖父の口から出稼ぎの苦労話を聞く機会はありませんでしたが、彼にとっての「子どもたち」、私にとって「母」、「叔父叔母」には晩年、酒に酔っては苦労話もしたそうです。飯場、タコ部屋での共同生活、差別的待遇など。口では言えない苦労も多々あったことでしょう。林芙美子の「放浪記」を愛読していた祖父。そんな一面からも彼の半生が窺えます。
時は移って今から20年ほど前。正月休みを利用して北海道を一人旅したことがあります。交通手段は列車。各駅停車で東京まで行き、上野駅から夜行の快速列車で秋田経由、北海道に上陸しました。年末差し迫って快速とは言え夜行列車、それも寝台特急ではない車両に乗り込んでくる乗客は、その殆どが首都圏に出稼ぎに来ていた男性たち。
4人掛けのボックス席が並んだ車内。持ち込んだ酒を酌み交わしての酒盛り。肴は袋入りの乾物と、都会での苦労話。耳を欹てて聞き入る私にも酒を勧めてくれ、ご馳走になりました。酔いが回ってくると言葉が半分以上聞き取れなくなりましたが(方言のため)、中には涙を流しながら話す「おっちゃん」もいました。蔑まれ、苦しみや悔しさに耐えた日々。
まだ陽も昇っていない早朝の秋田駅で家族同士、抱擁しながらの再会。
そして今、季節は冬。今現在も都会では多くの出稼ぎ労働者の方々が働かれていることでしょう。今回のような痛ましい事故が再発しませんように。田舎で待つ家族の肩に悲しみの雪が積もりませんように・・・。
そして2012年。一人でも多くの国民が笑顔になれますように!
何だかワケが分かりませんけど・・・。
家族と共に過ごせる日常に感謝して日々を送りたいものです。