天安門の事件。犯人はウイグル族とのこと。勿論、テロ行為自体はどんな理由があれ、許される行為ではありません。しかし、今回の様な結末にいたる背景にも政府、そして世界が目を向けるべきだと思います。
先日も書きました様に、公平、平等が完全に成立する社会は有り得ません。それは国という大きな単位に限らず、末は家庭や学級内に於いても同様。しかし、その根源を断つことが可能な差別、不平等と、絶つことの出来ないものがあると感じます。
今回の事件の背景にあるのは、中国国内の民族問題。ウイグル族はその民族の得てきた歴史上、漢民族とは明らかに異なる容貌、そして宗教、生活様式、言語。差別の対象となる材料が揃っていると言って過言ではないでしょう。
急速な発展で、多くのウイグル族人民は経済的に取り残され、その格差は広がる一方。かつて旅を通して彼らの文化に触れ、やさしさ、親切に甘えてきた私にとっては、正直、同情を感じざるを得ません。
これ以上、書き続けると、政府への批判めいたものとなる可能性もありますので、この件についてはここまで。
アルバム整理の際、見つけた写真。こんな写真撮ってたんだなぁ。おそらくバスで移動中、地図に名も無い様な田舎街での休憩時間。見学に訪れたイスラム教のモスクの中から撮影したのでしょう。女性であるが故にモスクの中に入れなかった少女。壁にしがみついて懸命に何かを祈ってました。ウイグルの少女の祈り・・・。おそらくその願いは、高額宝くじに当選しますように!とか、キレイな服が買えますように!とか、その類ではなく、人が人らしく生きてゆける、私達から見れば「当たり前」のことに対しての祈りだったのではないでしょうか?
いつの日か、この世のすべてが、等しく平和になりますように(この部分、浜田省吾氏の歌詞から引用)