先日、義父が車を運転して接触事故を起こしました。齢八十・・・。そろそろ運転すること自体を諦めてほしいのですが、中々本人は老化を自覚できない様子。その後もハンドルを握り続けています。
そして今日、父の同級生(来年70歳)が来店。路地で愛車のアルファードを塀に当て板金修理が必要になったとのこと。
一途に進む高齢化社会。仕事をいつ辞めるのかと同等、或いはそれ以上に車やバイクを何歳まで運転するのかを見極め、決断するのは難しい問題なのでしょう。
一律規則で縛るのは、個人差も大きい故、難しいと思いますが、国や自治体も何らかのガイドラインを設ける必要はあると感じます。
確かに地方で生活していると車を使えないことで発生する不便は小さくありません。然し、大きな事故を起こしてから免許を返納するのは、それまで生きてこられた人生の晩雪を汚すことにもなりかねません。ある程度若い時から予め自身で年齢を定めて、その年がきたら潔く免許を返納する。それまでに脱自動車の生活習慣、パターンを作り上げる・・・。んな意識が必要なのかな?って思います。今まだ若い我々も皆、順番に歳をとりますので他人事ではありません。
ただ私が思うに・・・。
今、高齢者と呼ばれている世代にとっての自動車と私達世代にとっての「自動車」とは、その存在意義に大きな違いがあるのかもしれません。
戦中戦後、そして高度経済成長・・・。日本の経済が右肩上がりで成長する中、その時代を生きた人々にとって、自家用自動車とは頑張れば手が届く憧れの存在だった筈。そしてその憧れを手に入れた時の喜びや感動は一塩だったと察します。
そして私達の世代。自動車は身近に存在して当たり前。もの心ついた時から家族の運転する車に乗り移動。免許を取得できる年齢に達した頃には車種を問わなければ車を買うという事は全くもって難しいことではなくなっていました。今も然り。その両者の意識、価値観の違いでしょう。
その角度から見ると・・・。
近年、写真撮影を趣味とされている高齢者が増加しています。各種イベントや景勝地では見るからに高額なカメラを提げた高齢のカメラマンが目につきます。その世代の方々にとってはカメラも又、若かりし頃に憧れた「機械」だったのでしょう。我々には想像できませんが。
さすれば・・・私達の世代にとって、それに代わる物は・・・・。
例えば携帯電話?インターネットが自由に使える環境?
「もう高齢なんだから、ケイタイ使っちゃだめよ~!」
って言われたら、精神的にも堪えるでしょうね。まあ、私は、どうでもエエっすけど。
酒のんじゃダメ!って言われる方がキツいですわ(笑)。