個室で過ごす所謂「哲学の時間」に下川裕治著「アジアの弟子」を読んでいます。
貧乏旅行の指南役的イメージが強い下川氏が、旅行記・・・というよりも、アジアへの恋い焦がれる想いを綴った一冊という印象です。
日本での仕事、そして結婚生活にも行き詰まり、自分の居場所を探すかの如く語学留学したタイでの日々などは特に深く共感しながら読ませていただきました。
別に私は結婚生活に行き詰っている訳ではありませんが、勉強やある種のアクティビティに没頭する意味は、学生時代と社会人になった後では多少異なっていると思います。
勿論後者の場合、自身のスキルアップや社内での昇進が目的だったりすることもありますが、そうではないケースも少なくないと感じます。私の場合も然り。
思えば40歳を過ぎて、猛烈に実用英語検定の受験に没頭したり、ある日を境に突然韓国語の世界に沈没したり・・・。全くもって仕事の為ではありませんでした。それは・・・自分でも説明づけることが出来ませんでしたが、結局は自分の居場所を見つけたかったって事なのでしょう。
検定を受験し合格の通知を得たときの嬉しさ。それは合格そのものが嬉しいというよりも、こんな自分でも評価してくれる世界がある!ってことへの嬉しさ、居場所の確認だったように感じます。
ここ数年、「居場所探し」から遠のいている現状。
季節は春に向かって一歩づつ進んでいます。そろそろ腰を上げねば・・・。