今年の「岡山市民の文芸」随筆部門に応募していた原稿・・・。昨日、見事、「落選」の通知が届きましたので、こちらで公開(笑)。
よろしければおヒマな時間にお付き合いくださいませ。
そう、今FBでお付き合いが続くK氏との出会いも、この旅を通してでしたねぇ・・・ああ青春の日々よ(^O^)
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「草原の追憶」
小学四年生の頃、父親と一緒に小さなトランジスターラジオを自作した。スピーカーや音量調節は無く、イヤホンを挿すとスイッチが入る簡素な構造だったが当時の私にとっては最高の宝物となった。それを機に始まった不思議な小箱達との付き合いも思えば既に久しい。
インターネットを使えば海外の放送さえも澄んだ音質で聴くことの出来る現代。しかし私は雑音や混信が有っても、ラジオが受け止め、届けてくれる音声に心をくすぐられる。
先日、中国のラジオ放送局から暑中見舞いが届いた。中国にその様な習慣は無い筈。我々日本のリスナーを慮っての粋な心配りだろう。内蒙古自治区に広がる草原の風景が印刷されたそのカード。青い空に漂う白い雲、その下に広がる草原で草を食む羊や牛。遥かに低く連なる稜線は大興安嶺山脈だろうか。暫くの間、時空を越え、遠い日の記憶に浸りながら、その写真に見入った。
今から三十年前。中国の少数民族の文化に関心を寄せていた私は、十代最後の夏を中国内蒙古自治区への旅に過ごした。乏しい情報を掻き集め、不安もザックに詰め込んでの一人旅。地平線までも広がる壮大な草原に感動しながらも、私の心に更に深い感動と記憶を刻んでくれたのは、その大地に人生の日々を送る人々との触れあいだった。
旅の途中、数日間滞在したモンゴル国との国境に程近い小さな街の飯店(ホテル)。そこで働いていた蒙古族の若い女性との出会いもそのひとつ。時間だけは有り余っていた若い旅人。ロビーで彼女の姿を見つけては声をかけ、まだ習いかけの北京語に筆談も交えながら会話を楽しんだ。お互いの生活や趣味の話、将来の夢など語り合いながらも、実は彼女の、はにかんだ笑顔に向き合って過ごせる時間そのものが十九歳の私にとっては何とも嬉しかったのだ。
しかし悲しいかな、会うは別れの始め也。帰国後に続いた文通も一年を待たず途絶えてしまった様に思う。
「麗しい浮草」という意味の名前を持つ蒙古族の女性。彼女は今、何処で、どんな暮らしをしているのだろう。経済成長に伴い近代的に発展したであろう街の中でも、時には、あの草原を撫で吹き抜けた風の音や匂いに想いを馳せることがあるのだろうか。何はともあれ、人として、母として、愛する家族と共に幸せな日々を過ごされていることを願ってやまない。
そして時は流れ、気が付けば我が家の長男も当時の私と同じ年頃に成長した。ラジオなどには目もくれず、スマートフォンを身体の一部の如く操りながら青春の日々を謳歌している。草原への追憶に耽って以来、まだ幼くさえ見えていた彼を少し大人っぽく感じる様になった。何故ならば、そう。曾て内蒙古の草原に立ち碧空を見上げていた自分も一端、大人のつもりで生きていたのだから。