今朝の朝刊紙面上に掲載されていた村田沙耶香のショートエッセイ・・・。
昨年は芥川賞を受賞され注目を集めている若手作家さんですが、このテの「小物」?もさすが秀逸、その才が輝いています(エラそうに言ってスミマセン)。
女史は喫茶店を「仕事場」、即ち執筆の場とされることが多いとのこと。その理由について、ご自身の気持ちと語り合いながらでしょう記されています。
仕事ではなくとも、近年、自宅以外の場所を学習の場としている学生を多く見かけるようになりました。我が家の子ども達も同様。受験期、長男は近所や通学途中にあるファーストフード店で、長女は地域の公共施設ロビーで勉強し帰宅することが多かったです。
その理由について尋ねたことはありませんが、村田さん同様、彼らにとっても、何かしら自宅よりも集中できる要素、環境がそこにあったということでしょう。
自身を振り返ってみると・・・。
私の受験期にはファーストフード店や喫茶店など今ほど身近ではなく、学習の為に長時間滞在できる雰囲気、そしてそのために資金力もありませんでした。
学校に居残ってという校風?でもなく、やはり帰宅後、自室で机に向かっていました。自分以外の何か・・・それが当時はラジオだった様に思います。家族が寝静まった後も傍に置いたラジオから聞こえてくる深夜放送・・・。それは私にとってある種の「気配」だったのでしょう。同じ時期を学生として過ごした方々にはご同感いただける方が少ないと思うのですがいかがでしょうか?
ヤンタン、ヤンリク、オールナイトニッポン・・・。あの頃、よく聴いた音楽同様、それぞれの番組のジングルも又、耳の奥に残っています。
そして今、工場内のBGMもラジオ。聴いている実は聴いてない、聴いてない様で実は・・・。
それくらいの主張、気配が仕事の相棒にも「いい感じ」ですわ。