小さくて四角い紙を見ると情景反射の様に「鶴」を折ってしまう・・・。
今朝も出勤後コーヒーのお供にと口に入れたチョコの包装紙がいつの間にか・・・。
思えば幼少期、知人の病気見舞いの為、何度か千羽鶴を作った?作らされた?ことがある。一日のノルマまで課せられていたが、作り始めると結構楽しいもの。色とりどりの折り紙を弄びながら母や妹との会話を楽しんでたのだろう。
幼少期、当時から多忙だった母との思い出は少ないが、折鶴を折る度に、あの頃の光景、折りあげた鶴を入れていた丸い籠を思い出す。
先日のこと。ラジオを聴いていると海外旅行でのホテルマナーの話題が取り上げられていた。あるリスナーからの投稿。彼女は毎朝、部屋を去るとき、一言のメッセージに沿えて折鶴を置いておくらしい。以後、私も倣うべしと思う。
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さて、金子光晴著「ねむれ巴里」。
私自身、ヨーロッパへの渡航経験はなく、おそらく生涯無いと思われるが、氏の作品、そして行動が放つ人間臭さに魅了される。
本のページを開けばパリへ、それも80年前、あの悪い戦争の幕が開く前の巴里を地面に這いつくばりながら旅する心地を味わえる。読書という行為の偉大さに感謝。