銀河鉄道の父・・・
以前から宮沢賢治を人ではなく「神」とさえ感じながら作品に接してきた私にとって、心に残る一冊となりました。
家業そして父との確執、自身の理想や理念の中で命の炎を燃やしながら生きたともとれる、その短い生涯を父の視点から改めて振り返る本作を通しても、やはり賢治は「ヒト」という同じ生物とは思えない「何か」を感じさせられました。
アメニモマケズ・・・の詩が最も親しまれていますが、私は寧ろ「注文の多い料理店」の序文にこそ賢治の精神性や魂が感じられます。
又、賢治ファンではなくとも、息子を持つ「父」たる諸兄には是非本書をご一読いただきたくお勧めします。
母と娘・・・とは異なる父と息子の関係性。繋がり、そして距離感。私にも父があり、息子もいます。彼らにとっての私とは?私にとっての彼らとは?
大人になって世間の塵芥にまみれながらも、心の芯では賢治の紡いだ物語や詩を「すきとおったほんとうのたべもの」と感じられる感性を持ち続け潔く生きてゆきたいものです。
(以下、注文の多い料理店「序」より引用・・・。)
=====================================
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹にじや月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。