高校バスケの試合で男子留学生が審判に対し暴力をふるった問題が大きく報じられていました。本人は退学し帰国を望んでいるとのこと。未来有望な一人の青年の未来に汚点が付いてしまったこと、大変残念に感じます。
勿論、審判に対する暴力は言語道断。処分を受けて然りですが、その背景にも是非目を向けて欲しい。
近年、高校でも海外からの留学生(特にスポーツ分野)を目にします。しかしいつも思うのですが、果たして彼ら彼女らは日本の教育機関、教育内容に順応できる能力を備えているのか?本業である学問のフィールドに於いて、理数系ならまだしも、日本の地歴、まして古文、漢文の授業に対応し試験で及第点を取れているとは思えません。例え私立であれ、日本の教育機関で有る以上、文科省の認可を受け、その前提として必要とされる授業数、取得単位は厳格に定められている筈。その辺りに問題はないのでしょうか?学業は度外視でスポーツの成績だけを求められた「戦闘員」だというのであれば、何と悲しく虚しい存在なのかという思いにも至るのでは?
問題の生徒はフランス語圏からの留学生。言葉を含む文化の共有者が周囲に居なかったと思われます。報道によるとフランス語を理解できる学校職員はゼロ。未成年の彼にとって相当のフラストレーションだったことでしょう。そのエネルギーがあの瞬間に「暴発」したものと思われます。
私思うに、これは学校現場だけの問題ではありません。近年、私達の住む地域でも多くの外国人を見かけます。その多くは技能研修生と称される事実上の出稼ぎ労働者。恐らくは我が子と同年代の青年男女。見知らぬ国へ来て仕事に励む姿には歳の差はあれ敬意を感じています。
然し、彼らを受け入れている会社に、出身国の文化、言語を理解できる社員は居るのだろうか?或いは理解すべく積極的な学習に努めている社員はいるのだろうか?
近年、急増しているのはベトナムからの「研修生」。然し残念なことに私の周囲にベトナム語を学ぼうとする人は一人として見当たりません。
郷に入れば郷に従え?日本に来るのだから日本語を学ぶのが当然だ?いや、決してそんなもんではないと思う。相互に理解し合う気持ちあらば、それは即ち相互の「姿勢」に表れるはず。
例えば、ある国に関心を持つ。例えば好きになった人(同異性問わず)が外国人。ならばその国を更に知りたくなるのは当たり前の感情。その結果として言語や文化を学ぼうと思うのも又、自然の感情。ベトナム人、少し前までは中国人。彼らに労働のみ強いていながら結局彼らから何も学ばなかったというならば・・・。所詮キレイごとを並べてみただけで、単に都合の良い「労働力」として酷使してみただけでしかない。
書き連ねているうちに語調がキツくなってきました(笑)スンマセン。
今後も恐らくは種々の事件が起こることでしょう。
異文化を完全に理解するのは絶対に無理なこと。でも少なくとも「隣人」の文化に関心を持ち、理解しよう、分かり合おうとする姿勢だけは必要不可欠だと思います。そんな気持ちを持てる人が増えること。これこそがNIPPONの「OMOTENASHI」ではないかと思います。