体調も全快とは言えず、ここ数日は朝のウォーキングは封印。終業後も早めに自室に引き上げ横になって過ごしています。
食も細く酒も飲めぬとなれば楽しみは読書のみ。久しぶりに林芙美子さんの古い全集を読み返しています。
我々とは生まれ育った時代が違うとは言え、当時としても劣悪と言える環境下で生きた幼少期、青年期。その反動か晩年はかなり成金趣味を露わにしながら生きたとも感じます。
牡蠣、晩菊、泣虫小僧、風琴と魚の町・・・。代表作である放浪記以外でもその才能のほとばしりを感じさせてくれる秀逸な作品を堪能させていただきました。
享年47歳。多作で知られた女史の残した膨大な仕事に触れる度、その生き様を想う度、人生の長短とは物理的な長短だけでは語れないのだと感じます。
女史の享年に比すれば既にプラスアルファとして何年かを生きた私ですが、後世に残せるほどの仕事や実績は皆無です。このまま寿命とやらの到来まで生きたとて同じこと。自分と言う存在を円の中心に置けばこそ、生きることの意味も感じますが、その中心が別のものに置き換えられると果たして特別な才能も無く、仕事も残さない一人のニンゲンの生涯とは何なんだろう・・・そんなとりとめのないことを考えてしまいます。
ふと気が付けば「放浪記」中の芙美子と当家の長女が丁度同じ年頃。とりあえず食い扶持となる仕事は持ち、日々を過ごしているものの、恐らくは世の中の様々なことに不満を感じ、怒りながら、不貞腐れながら、恋をしながら生きている女性であることには変わりありません。
まぁ、彼女は「放浪記」読んだことないだろうし、読むこともないだろうけどね。