古くから地域でガソリンスタンドを営んでいるSさんご一家。亡き創業者は、戦前、戦中を中国東北部(旧呼称で言う満州国)で過ごされた方でした。
軍人ではなく、商売に関わるお立場だったらしく、一時は相当に「羽振りの良い」時代があったそうです。
私の若い頃はまだご存命でしたが、小柄ながら一見して「タダモノではない」雰囲気の爺さんでした。
反面、婆さん(奥様)は優しく愛想の良い方で、私たち家族一同、様々なお情けをいただいたこと今もよく覚えています。
その爺さん(すみません)が多くの写真や絵ハガキを残されていることを知り、見せていただきました。日本統治下にあった時代の瀋陽(旧奉天)や長春(旧新京)の街並み、人々の息遣いを感じることができます。
その中、一枚の女性を移した写真が印象に残りました。
日本人街にあったカフェーで働く女給さん・・・と察します。
カフェー(カフェじゃなくて)も女給も死語となりましたが、この一人の女性が満州の地に渡った経緯、その地で過ごした日々、そしてその後の人生・・・。もし聞くことが叶ったならば小説よりも奇なるドラマが、その「口」から語られたことでしょう。
勿論、今は鬼籍に入っておられることでしょう。然し、子孫含め血縁者はいらっしゃる筈。
死んだ婆ちゃんが若くてキレイだったころの写真・・・。縁者にお渡しする術がない者でしょうか・・・。
戦争、占領行為の是非はともかく、サムライの血を滾らせた冒険野郎たちにとって一時期の「満州」の地は格好の居場所だったのかもしれません。
※尚、説明の必要上、戦中用いられた地名等を使用しました事、お詫びいたします。
「酒と色語るやセピア色のひと満蒙の地の蝶でありし日」byかずさん