朝はバタバタと忙しいので帰宅後にその日の朝刊を読むことが増えました。
昨日の朝日朝刊に作家「林真理子」さんのインタビュー記事が掲載されていました。
男性の野心や欲望について女史の見解を論じておられましたが、その中で・・・
「・・・人間関係や恋愛に臆病になったことの理由のひとつに本を読まなくなったことが有ると思います。恋愛を知り、憧れを募らせるとか、世の中には様々な人間がいて、色んな考えがあることを知るのは、読書から学ぶ経験が大きいと思うのです・・・」(抜粋)
と述べられていました。
昨今、「格差」という言葉が頻繁に使われます。この世には様々な格差が存在し、それが拡大していることを日々感じていますが、読書という行為にも既に相当の格差が生じているように思います。
近年、雑誌類の売り上げは相当落ち込んでいるとのことですが、書籍の売り上げはさほどでもないとのこと。減少しつつある「読む側」の人々の情熱が出版社、そして作家さんを支えているのでしょう。そして主に雑誌を通して活字と付き合ってきた人々は、インターネットで得られる情報でその好奇心が満たされているのかもしれません。
少し話しは変わりますが・・・先日発表された、芥川、直木両賞も今期は共に女性。直木賞に至っては候補者全員が女性となりました。以下、あくまで私の持論・・・
男性と女性の脳内回路、思考システムは随分異なります。それを証拠に、文章を綴ればそこかしこに、男性らしさ、女性らしさが浮き上がってきます。小説であればプロットの組み立て方から始まり、描写の仕方、その新選、感情の揺れ動き方、重心の置き場所・・・。おそらく異性作家の作品に深く共感、感動するのは困難なのではと感じますがいかがでしょうか?
候補者が全て女性、受賞者も女性という現実。これは執筆者数以前に本を読まなくなった男性が増えたことの証明ではないでしょうか。
酒飲みから見れば、飲まない側の方々を気の毒に感じる。バイクに乗る醍醐味を知る者にからすれば、バイクに乗らない方を気の毒に感じる。読書も又、似たようなものかもしれません。読む、読まないは人それぞれ自由であり、その人の価値観に委ねざるを得ません。しかし幼少期から本という物体に親しんできた身からすれば、「読まない側」の方々をお気の毒に感じます。
折角の短い人生。古今東西、人は多様な環境下に出会い別れ、生きて死に、その時間を「物語」を紡いできた生き物です。晴耕雨読・・・。雨に降られる日も多い季節です。時にはスマホを手放して本のページを開いてみませんか?あなたの魂が震えるような感動と出会える・・・かもしれません。