平素、政治的なことに興味はないのですが、昨今の香港情勢は深い関心を持って報道に接しています。
香港を初めて訪れたのは88年。雲南省の旅を終え省都昆明からドラゴン航空の飛行機で降り立ったのが最初の「縁」でした。
当時の空港はクーロン半島側にあった啓徳空港。高層ビルが立ち並ぶ市街地が近く世界で最も着陸の難しいと言われた空港のひとつでした。
着陸後、預けていた荷物を受け取り、入国審査に向かった時のこと。空港職員が手を挙げ空いているゲートに誘導してくれた時の感動は今も忘れません。社会主義色の濃かった当時の「大陸」では、有り得ない「服務」でした。
それ以降もアジア各地を旅する拠点として幾度となく立ち寄り、新婚旅行先に選んだのも・・・香港でした。
当時、廟街や男人街、女人街など夜店で人気だったのはユニオンジャックが赤いペンキで染められようとしているイラストのプリントされたTシャツ。
10年近く先の事・・・。返還について香港の人たちも洒落、自虐ネタとしてあしらう程度に心の余裕があった様に感じました。
その人々が今、世界に向けて声を挙げています。
そして歌が民衆の抵抗に心を一つにしている様です。
曾て日本も学生運動盛んなころには「友よ」で夜明けを待つ心を歌い、80年代の韓国民主化運動では「朝露」で同じく夜明けを歌い、香港でも願榮光歸香港「夜明けだ 取り返そう この香港を!」と皆で歌い、黎明を信じ闘っているのでしょう。
その良し悪しなど私の愚かな脳味噌では到底解析できませんが、とてつもなく大きな権力に向かって立ち向かおうとする民衆の姿勢には敬意を感じずにはおれません。
何故ならば私も国や民族は違えど力なき民衆の一人。その心に共鳴は出来ても、権力者の心に寄り添うことは出来ません。
もう旅することはないかもしれませんが、曾遊の地で今も生きる人々に幸多かれと願いながらニュースを読んでいます。