先週末、図書館でお借りしました。
宮本輝氏の自伝的超長編小説「流転の海」の第4部、天の夜曲・・・。
主人公の坂口熊吾は戦前、戦中、戦後の時代を波乱万丈の中に過ごした著者の父がモデルとなっています。勿論、その息子である伸仁は著者自身であり、熊吾の妻、房江は母であることは言うまでも有りません。
第4部では昭和30年前後が時代背景。戦後の「どさくさ」を運と度胸と生命力でのし上がった熊吾の商売にも陰りが見え始め、一旦は商売の本拠とした大阪に見切りをつけ富山へ移ります。そしてその後、再び大阪へ。
人の持つ才能とか運と言うのは画一的な定規では計れないものです。その人の持つスタイルがその時代に合っているのか否か?それも重要なファクターだと言えるでしょう。
熊吾の「スタイル」が成長し成熟してゆく「時代」には合わなかったことは間違いないでしょう。
私思うに・・・これは一つの「国」という単位に於いても同じことなのでしょう。或いは民族と言い換えても支障ないと思います。
国や民族に優劣は無いのですが、その時代背景やら求められる能力に合った国や民族が、その時代の恩恵を受けることになるのです。
例えばモンゴル・・・。
かつてユーラシア大陸を征服したと言っても過言ではない彼らの祖先は類まれなフィジカルと騎馬能力を持ち、それに世界が屈したのです。然し「文明」という武器が世界を支配する力となった以降、彼らはそれに屈せざるを得ない境遇に追い込まれました。
ならば日本はどうなのか?グローバル化が加速度的に進む現代に於いてはどうなのか?多様性という概念の育ちにくい島国で、且つ寡黙、質素であることを美徳としながら史を重ねてきた民族が劣性に甘んじなければならないのは、仕方ないことなのかもしれません。
宮本氏が20年以上をかけて紡いだ物語も今年、第9部を以て完結となりました。
あと5冊・・・。早く次巻を読みたくもありますが、筆者の費やした時間を思えば急ぐ必要もなし、読み返してもよし。
熊吾が初めて子どもを持った還暦までに読み終えれば、それでよし・・・位の気持ちで付き合ってゆきたいと考えています。
作中、熊吾が若い愛人を連れて大阪から長崎へ向かう場面があります。移動手段は今は無き寝台特急「雲仙」。所要時間は約17時間。日本も広かった時代です。
その昔・・・留学していた中国河南省洛陽から上海までが17時間かかっていました。
何度も上海に出向きましたが、当時はさほど遠くに旅するという感覚ではありませんでした。
日本と比するにも値しないほど広大な国土の中に暮らしていると、空間や時間の感覚まで変わってくるのでしょう。
一外国人でさえ、そうなると言うことは・・・先祖代々を大陸の地に根を張り生きてきた中国人の持つ精神の尺度を計り、共有することは難しい「作業」なのかもしれません。