香港市民と警察当局の衝突が激しさを増しています。
どちらに正義があるのか?それは安易に論ずる問題ではないと思いますが、やはり庶民の感情として、高度な自由を保障されている国の住民としては市民の感情に、より近しいものを感ぜざるを得ません。
私が留学を終え帰国した翌年の1989年・・・。大陸の首都にある大きな広場(敢えて固有名詞は控えます)で起こった事件を顧みても、私たちの持つ常識は通用しない程、巨大で強力な「体制」が相手のレジスタンス。無謀とも言えるその行動に多くの香港市民が参加し、世界に向けて声を挙げているという事実を無視し続けることも非人道的な「行為」と言えるでしょう。
隣国でもある我が国は勿論、国連を含め国際的に政治力を行使できる団体の積極的な介入が必要な段階に入っているのではと感じます。
私も香港の街や人々には多くの思い出をいただきました。
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一人旅もしました。航空便の中継地としても滞在しました。そして人生の節目ともなる新婚旅行の地でもあります。
尖沙咀、油麻地、中環・・・。今朝のラジオニュースでも懐かしい地名を耳にしました。
もし、自分が香港市民だったなら。砲火に倒れる同胞の死に向き合ったならと想像すると、心の苦しさと悲しみと同時に、曾ての旅人として何か支援は出来ないものかと、もどかしさを感じています。
写真は・・・
南区の米倉にかかる相生橋・・・の遺構。現在使われている橋の脇にある美容院さんの裏手に残っています。
資料によると、明治24年起工。施行費は3,540円。通行料は人が5厘、人力車1銭、馬車は2銭だったとか。
サイトを移動して当時の物価を調べてみると・・・
うどん:約1銭。卵一個:1銭。白米一升:8銭。ビール大瓶:18銭(高っ!)・・・。
往来を行き来する旅人や棒ふり(行商人)の声が聞こえてきそうです。
橋の袂にあった金毘羅往来の道標は別の場所(木野山様?)に移されているそうです・・・って、どこなんだろ?地元の古老に聞いてみよう。