先日、市内に架っていた旧相生橋の遺構を紹介しました。
その橋の袂にあった道標が同地内の「木野山様」に移されているとの情報を得、今朝、次女を送った帰路、立ち寄ってみました。
そもそも、こちらの祠は明治10年頃、当地で大勢が罹患した疫病封じで祀られたとのこと。2号線バイパスと児島線が交わる地点からすぐ。公会堂の様な建物の横に慎ましく鎮座されています。
地元の歴史年表を調べてみると、この「疫病」ってのは結構頻繁に流行していたらしい。
洪水や災害は今よりも多いくらい発生しています。
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高度に進歩した医療の恩恵を当たり前の様に享受して生活する我々ですが、生まれる時代が異なれば・・・もしかしたら私という人間も半世紀の生を与えられなかったかもしれません。
道標には「右・おゝのやま・むねただ宮」「左・琴比ら宮・ゆうが宮」と刻まれていますが、おゝのやま・・・ってのは岡山城下のことなんですかねぇ?よくわかりませんけど。
とにかくこの橋を渡った数多の旅人が道標に目を遣り、それぞれの目的地に向かって歩を進めたことでしょう。その脇では別れの涙を流した人もいたでしょう。きっと帰ってくるぜ!と道標を撫で去った人もあったでしょう。そんなことを想像しながら・・・。
若い頃は、もっと遠くへ!と願いながら旅をしました。しかし自分や自分の祖先が生きてきた地元の歴史に触れ始めてみると、今まで感じたことのない、親しみと温もりを覚えます。別に海外への興味が薄れたとかではなく、知的好奇心を満たしてくれる「材料」が身近にあることが分かり始めた・・・という感覚でしょうか。