今朝は準備が早く終わったので母の墓参りを兼ねて遠回り。
海を渡る列車が停まる無人駅の踏切りを越えればすぐそこです。
昔から駅やバスターミナル、空港といった場所が好きです。出かける予定は無くても、その場所に出向いたり、暫く椅子に腰かけて過ごしながら行き交う旅人を眺めていると、旅情のようなものを感じます。
一人一人が違う人生を歩みながら、行きつ戻りつしてゆく道標とも言えるでしょうか。
学校に近づくと子供たちの姿が増えてきます。
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肩を並べて歩きながら交わされる会話を聞くともなく耳を澄ませてみると、その会話群の中から方言が消えつつあるのが感じられます。
情報の画一化や均一化がなし得た成果ともとれますが、なにかしら一抹の寂しさも覚えます。
言葉は生き物ですから進化も退化も止めることは出来ませんし、するべきでもありません。でも…若い女性が話す方言には何ともいえない艶を感じるし、男性の話すそれには、えもいわれぬ親しみが滲み出るものです。
先日「おかやま検定」なる試験を長女が受験しました。内容は多岐に渡る知識を問われるもので、その中には方言の問題も含まれていた様です。素晴らしい!小学校も英語の授業なんか止めて「方言」てな科目を設けた方が…ええんじゃねぇかのぉ?(笑)。