今日から5月。既に大型連休となっておられる方も少なくないでしょう。殊に今年はウィルス禍の影響で勤務体制も変わり、自宅勤務などからズルズルと休みに入るパターンもあるのかもしれません。
私たちは今のところ通常通りの営業で3日~6日までを休みとさせていただきます。
世の中の流れに逆らわず「Stay Home」で4日間を過ごす予定で、その間を埋める「宿題」も準備しています。
昨今、「9月入学」への要望、変革を望む声が前にも増して高まっています。識者の諸先生方がご指摘の通り、諸外国では9月の学期スタートがメジャーです。アジアに於いても中国、韓国も秋から新学期となります。
先日の朝日新聞「天声人語」に明治時代の大学は9月入学で国による徴兵の都合上から4月に変更した旨が書かれていました。漱石の青春三部作の序ともなる「三四郎」。その主人公も秋を待って上京し入学したとの段もありました。そうだったかなぁ・・・と思い久しぶりにそのページを開いてみると・・・その通り。旧制高等学校を卒業した三四郎青年が故郷の熊本から「汽車」に乗り、その車内での情景描写から物語が始っています。
明治の学制も維新以来、欧米に学ばんと輸入されたものの筈。当初の目的としても9月入学は理に適った制度だったのでしょう。
その小説「三四郎」。今読み返してみると中々に興味深い。食べ終わった駅弁を走る汽車の窓から放り捨てるわ、車内でタバコを吸う人がいるわ、相席となった旅人どおしで話し込むわ・・・。そして青年が異性に対して心を揺り動かせる純粋な葛藤や衝動なども、今を生きる我々には体感することの出来ないある意味「情緒」的なものを感じます。
この数千年、あるいはそれ以上。ヒトという生物の外観に変化は無かものの、その内側「精神世界」の面では大きな変化があった様です。
そしてこの度のウィルス禍を機に、もう一度大きなうねりが起こるのかもしれません。
今朝の朝日新聞朝刊に元外務省主席分析官を勤めた作家の佐藤優氏のコラムが掲載されていました。氏は嘗て鈴木宗男氏を巡る一連の事件を受け失職され512日間の拘置所生活を体験されました。記事によるとその居室は三畳の板間。朝7時から夜9時まで、そこに座っていなければならず、本も三冊しか所持できなかったそうです。思いがけず「ひきこもる」という行為に於いても先達となってしまった氏の弁が心に響きます。以下引用・・・
「・・・大量消費を通じて喜びを得るという生き方は見直され、人々が内面に向かう方向へ文化が変わるのではないでしょうか。楽しみの中身が変わるのです・・・」以上。
同じく作家の「辛酸なめ子」女史も同紙面上で記されています。以下引用・・・
「・・・これまでの価値観を変えられる人と、変えられない人に分かれていくんだろうと思います・・・」以上
一部の職種を除き「時間」という無形の財は手元に残せた今の私たち。その財を「変わる」ことに投資する必要があるとも言えるでしょうか。偉そうにすみません。
東京へ行くことはできずとも漱石の著を読んで古き東京の情景の中に遊んだりするもよし、伊豆へ行けなくとも康成の「踊り子」を読んで青年と一緒に涙を流すもよし。芙美子の著と共に巴里へ遊ぶもよし・・・。出来ないことを悔やんでも仕方なし。今だから出来ることだって沢山あるのですから。
将来、令和二年のゴールデンウィークを振り返ったとき、
「あれも、まぁ悪くはなかったなぁ」
と思える日が来ることを信じて休日を迎えたいものです。
写真は通勤途中、知人の家の庭先に咲いていたオオツルボの花。明治期に観賞用として輸入されたとのこと。かの文豪たちも目にしたことがあったかもしれません。