「…こりゃ箸ですよ。蒙古人は終始これを腰へぶら下げていて、いざ御馳走という段になると、この刀を抜いて肉を切って、そうしてこの箸で傍から食うんだそうです・・・」以上引用
私の部屋の押入れにも、そのナイフと一模一様なものが有るのを思い出し久しぶりに取り出してみました。
20歳の夏。内蒙古を旅した折に知り合った蒙古族の女性からいただいたものです。当時、私の投宿した旅社で働いていた彼女。年も近く、妙に意気投合し滞在中は仕事の終わった後も食事をしたりダンスに誘ってくれました。
旅を終えた後も手紙のやり取りは続き、私の誕生日には学習用にと辞書を送ってくださいました。今もその辞書は私の書架に収まっています。
再会の約束を果たすべく厳冬期であるのを厭わず再訪。彼女、そしてご家族の皆様は、どこの馬の骨とも知れない異邦人を温かく迎えてくださいました。
標準語での学校教育を受けた彼女。私と話すときは漢民族と全く変わらない標準語を使用されていましたが、家族と話す時はモンゴル語にチェンジします。その巻舌音の多い意味不明な言葉を使う彼女に恋心を抱いていたのは言うまでもありません。
その後、留学期間を終え帰国した後にも文通は続きました。しかしその日、その日の現実に追い回される中、便りの行き来は途絶えてしまいました。
もし、あの頃、今少しの勇気があり漱石曰くの「冒険者」になり得たならば今とは随分違った人生が有ったのかもしれません。決して今の人生を悔いている訳ではないのですが。
穏やかな彼女の声、切れ長の目尻、そして右上がりに綴られた便箋の文字を思い出しながら柄からナイフを抜き出してみました。
まだサビひとつないナイフ。本来は羊を屠り脂や血を吸ってこそ貫禄もつくのでしょうが、私の所有している以上、その貫禄を纏うことはないのを申し訳ないようにも感じます。