中国の内蒙古自治区で蒙古族に対して中国語教育の強化が図られているとの新聞記事に触れました。
自治区とは言え、中国の一部であるが故に致し方ないことかと思う反面、将来的には民族文化の象徴ともいえる言語の消滅に繋がる可能性も懸念されます。
言語と言う「物体」は使われなくなると驚くほど速いスピードで地上から消えてゆきます。それは多少とも文化人類学やら、その近い世界に首を突っ込んだ経験のある方は周知の事実です。例えばそれは、、、人が住まなくなった家や、通らなくなった道が、あっという間に朽ち果て草に埋もれてしまうのにも似ています。
ごく近い過去に於いても中国では満語、西夏語など、それぞれの民族が固有し伝承してきた言語が消滅しています。消滅、、、というと「それは違う!」と叱られそうですが、現在は学術的に研究する対象としてしか存在していないのが事実です。
他国のことに限らず、日本でもアイヌ語はいかがでしょう?最近、漸く危機感を覚えアイデンティティに目覚めた若い人たちの力によってその復興が図られようとしており素晴らしいことだと思っています。
80年代。私たちが中国に暮らした時代でも少数民族の若者たちは日常生活の中で二言語を使い分けていました。学校や職場では漢語、家に帰れば家族や友人との会話は民族語、、、という具合に。
日本も戦時中、朝鮮半島や台湾などで同じような教育を施し、氏名まで日本風に変えることを強いました。弱者が強者の言葉を学ばざるを得ないのは歴史の宿命なのでしょうか?悲しいことです。
尚、紙面では触れていませんでしたが中国の蒙古族が使用している文字にも大きな意味があるのです。国境の北、同族の国でもあるモンゴル国では横書きのキリル文字が使用されるようになって久しく、民族が伝えてきた縦文字の文化が消滅しつつあります。これは勿論、政治的に巨大な影響力を発揮するロシアの影響であることはお察しの通りです。
19才の夏、旅の途中で知り合った蒙古族の女性に、私の名前をモンゴル語ではどう書くのか尋ね、書いてもらったことがあります。
私に対しては流暢な北京語で話してくれた彼女が、钢笔(万年筆)でスラスラっと記してくれました。
これがあなた、そしてこれは私の名前、それから、、、、。
今も中国の紙幣に記載される文字の中にモンゴル縦文字を見ることができます。民族の血や運命を感じさせるような縦文字を目にする度、「麗しの浮草」という意味の名を持つ彼女の笑顔が思い出されるのです。
いつまでも誇り高くあれ!民族や文化に優劣は無いのだ。