昨日、バイクで失踪、、、いや、疾走中、先輩宅の前に据えられている題目石が目に入り停車し観察しました。
こちらは四角柱の竿の全面に題目が刻まれています。おそらくとても珍しいタイプだと思います。
その脇には道標も置かれているので、その場所(三叉路)は各方向からの往来が多かったのだと想像されます。
建立年などは土台の石に刻まれています。「嘉永」の下が見辛いですが「甲寅」の文字から調べると嘉永七年(1854)に当たるようです。因みに同年の11月には改元が行われ元号が安政に変わっています。
嫌でござんす、、、の語呂合わせでお馴染み。その前年1853年には皆様ご存知のペリーが来航。年が変わって後に日米和親条約調印、、、。このニュースが江戸から遠く離れた私たちの町に生きた人たちに、どれくらいの速さで伝わったのか?そしてどう感じたのだろうか?そんなことを想像してみるのも楽しいものですな。
しかし、、、この石の題目の下にも刻まれた芋虫みたいな図案は何だろうか?他の石でも見たことあるんだけど、、、。
facebook には写真もけいさいしております。よろしければご覧くださいませ。