以前、何度か話題に取り上げた成島柳北の書き残した航薇日記の内容を追いかけています。
一昨日、図書館で紐解いた郷土史資料の中に地元で稲荷山と呼ばれている神社境内に「戸川達穀」の奉納した狛犬がある、、、との記載をみつけました。
戸川達穀。雅名を成斎と称し、柳北を妹尾への旅に誘った本人なのです。
妹尾に滞在中の柳北も達穀に誘われ稲荷山に登ったとの記述があります。以下抜粋、、、
“二十五日、晴。朝とく起出て、成斎とともに後園の山に登る。ここに稲荷の祠あり。祠辺松楓多し。遠く田園を望み、風景もよく、はた要害あしからぬ塁壁なり”
以上抜粋
昨日の夕刻。久しぶりに石段を登ってみました。私が子供時代にもよく遊んだ境内ですが、今は荒れ放題。社殿も取り壊され雑草に覆われつつあります。界隈では野良犬の徘徊も目立つ故でしょう、捕獲用の檻が仕掛けられていました。
大きめの鳥居の下に陣取る狛犬は石の風化もあり刻印が見えませんでした。境内の右端にも小さめの狛犬一対があるのを見つけ土台裏面を確認すると、、、。向かって右手に慶應5年、同じく左手に戸川達穀の文字が読み取れました。
友人柳北を伴って妹尾に戻ったのは明治2年。以前、稲荷山に遊んだ折にはその前に立ち
「これはわしが寄進したものじゃ!」
と自慢したこと間違いないでしょう。二人の姿を思い浮かべながら荒れ果てた境内を散策しました。
妹尾含め近隣の地域も多く紹介されている名著「航薇日記」ですが当地に長く暮らしている人の間でも話題に上がることはありません。せめて妹尾界隈の段だけでも、読みやすい現代文調に直し皆様に紹介出来ればと思っています。