引き続き妹尾に遊んだ成島柳北の話、、、。
旧幕臣で後に朝野新聞を興すなど抜群の文才と智力を備えた奇才柳北も酒と女そして美味いものには目が無かった様で、その方面への好奇心が日記文中に綴られています。
妹尾の地でもママカリや柳菌を食してますが中でも牡蠣は美味だったのでしょう、後日金毘羅へ参るべく訪れた丸亀の宿屋で食べた牡蠣を扱き下ろしています。以下抜粋
“二十八日、天陰る。冠童翁来り話す。朝飯に牡蠣を食ふ。翁曰く、牡蠣は広島を冠とすれども、其実はこの妹尾には及びがたし。翁、往年作りし詩に、
「年採江南牡蠣兒。春潮淺處養香肌。廣洲已是避三舎。上國未知風味奇。」
この地は両豊の海より牡蠣を移して、年々これを海中に養ふ故に、風味広島の右に出るとぞ、、、。
以上抜粋
日付は明治2年10月28日。冠童とは柳北がその才を絶賛した土地の老医、岸田冠童のこと。書中でも
“其人となり風致あり。実に僻郷に稀れなる人物と感嘆に堪へず”
と称賛しています。
随分、意気投合した様でその後も瑜伽、金毘羅、小豆島へも一緒に旅します。
文中「両豊の海」とは今の行政区分で言う福岡、大分方面の海の意。
漢詩の大意を訳せばこんな感じ、、、か?
「年々獲れるこの地の牡蠣は
春の浅海が匂う様な肌を作るんじゃ
広島の牡蠣じゃ言うてもこの風味にゃあ恐れ入ろうが
東国の人はこの旨さを知らんじゃろうのお、、、」
どうでしょう?
朝夕、風の中に冷たさが感じられる様になりました。そろそろ牡蠣もシーズンを迎えます。
大規模な干拓で海岸線も昔とは異なり妹尾の牡蠣を食すことは叶いませんが、搾りたての新酒など求めて牡蠣で一献、、、日本の晩秋をいただきたいところです。