自治体の首長様や議員議長様がご使用になる公用車に関する話題が世間を賑わせています。
古来そして古今東西。人間は偉くなれば衣服や冠、乗り物でその地位や権力を誇示するのが大変お好きだった様です。自身がビジネス等で儲けて贅を張るのは、その方の人生観の問題でご自由にどうぞと言いたいところですが首長や議長はあくまで公人であり、その支出が庶民の血税を集めた公費から出ていることを思っていただけるなら、所謂「高級車」を求め、地位にふさわしいなどと口にできるものではないはずです。
センチュリーであろうが軽トラであろうが移動に浪する時間は変わりません。自身の才信じ政治的信念を確立されれいるのであれば綺羅を纏い高級車後部座席でふんぞりかえる姿に羞恥心を覚えるのが当然で、何も感じない、特別扱いされることを当たり前だと思っている時点でマジョリティに恵する仕事は出来ない器と言えるでしょう。
以下は幕末、長岡藩の奇才「河井継之助」の逸話です。
人並み以上に女好きで吉原にも随分通い詰めた継之助。当時最も人気の高かった女郎「稲本楼の小稲」と遊ばんと出向きます。大見世の人気太夫小稲ほどになればその客も諸藩の留守居役は相当の富商ばかり。そこへ継之助は木綿のヨレヨレ着物で上がります。小稲は継之助の身分を探りますが答えて曰く、、、
「人間、虚飾などは屁の様なものだ。越後生まれの継之助だと、こう思ってもらえばよい」
これこそが芯ある漢の気概だと思います。
後日、塾の後輩「鈴木佐吉」を誘って江戸きっての高級料亭と評された八百善で飯を食います。
門を潜ったときからその格式に怯える佐吉に向かって曰く、、、
「人間死ねば地獄にも極楽にもゆかねばならぬ。であるのにこの世でたかが八百善に驚いていてはこの稼業はつとまらぬ」
遊学期に書き残した日記「塵壺」の中には山田方谷に師事すべく松山藩に向かう途中、妹尾に投宿したという記録も残っています。その話は長くなるので後日談としましょうか。
自身が行う政治家という稼業、人間という稼業に信念があれば公用車にセンチュリーは、、、要らないんじゃないかなあ?