通勤途中の登り坂で自転車に乗った男子中学生の一団に追い抜かれました。交わす会話の内容から察するに、その中のひとりが誕生日を迎えたみたい。それを祝うラインを送ったとか、まだだとか言い合いながらペダルを漕いでいました。
今どきは男子でも互いの誕生日を把握し祝い合うんだなぁ、と妙なことに感心。私など親しく付き合っている同級生、旧友、誰一人の誕生日も知りません。このあたりも世代の違いですかねぇ。
ところで今朝の「天声人語」に故ココ·シャネル女史の名言が複数紹介されていましたね。気になったのは…
「二十歳の顔は自然がくれたもの。三十歳の顔はあなたの生活が。五十歳の顔にはあなたの価値が現れる…」
とのお言葉に、なるほど確かに…と納得。
私も五十を過ぎました。天声人語の筆者と同じく毎朝、洗面台の前で自分に向き合う度に、うんざりしています。が、仕方なし、これが自分の価値ということなのです。
過ぎた事は仕方なし。これからもう暫くは人生の時間が残されていると思われます。サラリーマンさんと異なり私達には定年がありません。いつまで働けるのか、働かなければならないのか今のところ見通しが立ちません。若い頃は55歳になったら無職になろう!と思っていましたが到底叶いそうに無いことは残念ながら承知済み。いつの事か分かりませんが、せめて仕事を辞める時には晴れやかな顔で退きたいと願っています。
誕生日を祝うのは…もうご勘弁いただきたい齢です。