東日本大震災発生から十年が経ちました。テレビもラジオも新聞もネットも・・・随分前から相当のウェイトを置いて震災関連の記事を伝えています。
西日本、件の震災、津波を含め天災の恐ろしさに向き合うことの少ない岡山の地に住んでいると、あの震災が浴びせた甚大な被害や復興への道のりを実感としてとらえるのは難しいのが正直なところです。
人間というのは誠に身勝手なもので1万人以上の死者に対する哀悼や悲しみよりも、家族の入院や生老病死の方に心を痛めながら日常を送ってしまうもの。それが神でも聖人君子でもない生の人間の感情なのでしょう。
もちろん地震、津波、原発事故など風化させてはならない天災ではありますが、「忘れる」ことが出来る能力も持ち合わせています。その実、昨日が昭和20年の3月10日の東京大空襲で10万人以上が亡くなったことに関する報道は非常に少なかったと言えます。
人的な被害レベルは震災のそれと比較にならない程に甚大で、その原因が戦争という人為的な行動の下に行われたものであることを考えれば忘れるべきではない「日」。にも関わらず、実は殆どの日本人が、、、忘れているのです。
更に言えば大正12年の関東大震災でも死者、行方不明者は10万人を超えています。そしてその当時の社会混乱や流布されたデマの犠牲になった朝鮮、中国出身者のことも忘れるべきではありません。
そして殊に東北地方では有史以来でも何度も何度も地震、旱魃、冷夏、飢饉に襲われその折の惨状が記録に残されています。でもみんな、、、忘れているのです。悲しかなそれが人間。私もその中の一人なのです。そしてあと長くても数十年の後には原因の如何を問わず死の床に就くことになるのです。
毎年、この日を迎える度に感じる違和感。どっちにしてもあと1世紀経たないうちに、この星で私という人間が存在したことをを知る人は皆無になるのですから、あまり深く考えて生きる必要もないのでしょうけどね。
写真は常山の麓にある戸川友林の墓。隣接する位牌を収めた祠の前にも、真新しい酒が供えられていました。余程、酒が好きだったのだろうか?親しみを感じながら参らせていただきました。