外出時にも必ず何らか本を携行してないと落ち着かない・・・。少年期を過ぎる頃からの習性で、どうもこの病は生涯、治癒することはなさそうです。
今朝も読みかけの文庫本を出勤前にポケットに詰め込み玄関を出ました。
最近は井上靖氏の著作とのお付き合いが続いています。こちらも例の古書店で求めた中の一冊。カバーなしの文庫本故、50円。帰宅後、後ページを チェックしてみると私と同じ昭和42年の生まれ。しかも初版。こんなことが何とも嬉しかったりします。
タイトルの「姥捨」。楢山節考の様な話ではなく著者の家系を通して流れていると思える「諦観」や世の中を「降りた」ごとき生死感を近親者とのやり取りの中で描いてゆきます。勿論、短編集のタイトルを飾るに足る逸品ではありますが私的には一緒に収められている「大洗の月」や「孤猿」が心に残りました。
少年期を過ぎる頃から井上靖作品に触れてきたので、既読作の筈ですが、年齢と共に変化する感性の移ろいが異なる印象を纏って目の前に現れた、、、そんな感じです。
終戦直後から30年代の前半あたりが全作品の舞台背景です。私の知らない時代を「大人」として生きた人々の息遣いが感じられます。
「大洗の月」では終戦直後に興したビジネスの繁栄や、その紙一重で隣り合わせる没落への危うさの中に交錯する心理状態が描かれ、そして何が同名の画家が残した絵を通して何が本物で何が偽物なのか?本物は本当にホンモノなのか?混沌とした空気の残る昭和28年の作品らしさを感じます。
そして私自身も「老が確実に一歩踏み込んでくる瞬間・・・」の侘しさや虚しさを読み取れる齢となっていることに気付かされます。
以下、正岡子規の名句、、、
「寝転んで書を読む人や春の草」
文庫本を携えて草の上に寝転んでみるのも、、、イイんじゃない?