年末から帰省していた次女が昨日の昼間に岡山を発ちました。
夜、仕事を終えて自宅に帰ってみると食卓の上に手書きのメッセージが置かれていました。
まぁ、色々言いたいことは有るけど、こんな気配りが出来るところは…まぁ中々可愛い奴です。
先日の中国語講座で正月の出来事を話していました。ある男性のお宅にも、お子さまやお孫さんが里帰りされてたそうで「全く…台風が襲来した様な数日間だったよ」との弁でした。何処も似たようなもんだ、と思ってたら先生曰く…。
「その表現、非常に面白いと思います。しかし多くの中国人にとっては実感として捉えることが難しくもありますよ。何故なら中国、特に内陸部に台風の襲来はありませんから」
なるほど!比喩表現の難しさを改めて知らされました。そして先生は継いで曰く…
「しかし多様な表現が混ざることで言語は成長するのです。言語は特定の民族によって占用されるものではありません。中国語も然り。中国人のためだけにに存在するのではなく、中国語を学ぶ全ての人のために存在しているのです」
当家の長男と同年代の若い男性ですが中々奥の深い言葉に感動しました。
因みに…オミクロンは「奥米克戎」と表記するそうです。戎?rongの第2声。同字の例文として中国の古典「礼記」の一文を引用されました…。
国之大事 在祀与戎。
国にとって大事なのは祭り事と戦争である…。こんなアドリブがスラッと出てくる教養の深さにも毎度ながら敬服します。
例えば外国人の前で「枕草子」や「古今和歌集」について3分話せ!って言われても私を含めて殆どの日本人が対応出来ないと想像します。
凡人が生涯をかけて得られる知識のキャパなんてたかが知れてるとおもいますが、いつまでも知的な「欲望」は持ち続けたいと思ってます。