文化とはその置かれた立場で濃厚になったり希薄になったりする「物体」と言えよう。
言語や文字も然り。十代最後の夏を過ごした中国の内モンゴル自治区で使われているモンゴル文字も次世代への継続が難しくなっていると知った。中国語がモンゴル語や縦文字の存在を圧倒しているのだ。
モンゴル国ではモンゴル語が公用語である。教育機関もモンゴル語で授業を行うが文字は伝統の縦文字ではなくキリル文字を使用している。
民族固有の文字からアルファベットに文字が移行した例は少なくない。アジアでもベトナム、インドネシアなどが思い浮かぶ。
私は初めてモンゴルの文字を見た時の衝撃を今も忘れない。文字の面構えに男性的なものと女性的なものがあるとすればモンゴル文字からは明らかな男性を感じる。勇壮という表現も似合おうか。世界的に珍しい縦書きであることも日本語との共通点だ。
冒頭触れた旅の途中、国境近くの小さな街に滞在した。街よりも「町」と書く方が相応しいのかも知れない。東西南北…街角からどの方角に歩いても十分もかからず道は草原に消える。
その街で一人の女性と知り合った。別れ際お互いのアドレスを交換し文通を始めた。「美しい浮草」という意味の名に相応しい凛とした気品を感じさせる彼女との文通は何年も続いた。別にお互いが異性として惹かれたわけでもない。今思えば不思議なやり取りであった。
彼女からの手紙に限らず、私は今まで受け取った手紙や葉書の殆どを保管している。
先日、久しぶりに「美しい浮草」からの手紙を開いてみた。文末には八十年代後半から九十年代前半の日付が記されている。
残念ながら私はモンゴル語を解さない。お互いのやり取りその全てが中国語で交わされた。しかし私は彼女の書いた字体にモンゴルの風を感じ得る。今もそして当時もである。
上手いとか下手ではなく、平素モンゴル縦文字を使用する者だけが持つ筆癖が漢字にも表れていると思えるのだ。
消えつつあるモンゴル縦文字だが、それ以前に筆跡やら筆癖などという言葉自体も無くなってしまうのかも知れない。何しろ小学生からタブレット端末で言語を吸収し発信してゆく時代なのだから。
今、彼女はどこでどんな生活を送っているのだろう。インターネットにアクセスすればその街の様子を見ることが出来る。しかしそこには一片の面影も残されていない。発展や進歩は破壊を伴うものだと思い知らされる。
三十年以上を隔てた彼女の文字から旅の記憶と草原の匂いが蘇ってきた。