仕事の必要上、日々、車やバイクのハンドルを握っている。その分、休日はなるべくエンジン由来の動力と距離を置くよう心がけている。自ずと徒歩や自転車が主な移動手段となる。
私は所謂、自転車マニアではない。今、常用している自転車も息子のおさがり。中学進学時、私の父母が入学祝にと、買ってくれたものだ。しかし高校に入学後はカラフルな車体色の軽快車に買い換えた。以降、私の相棒となってからでも既に十三年が経つ。通学仕様のため少々重いが、その分とても堅牢に作られている。タイヤを何度か交換した程度でクランクや車軸など回転部も新車時と変わらぬ滑らかさを保っている。日本の自転車メーカーの技術力には心から脱帽したい。
自転車の利便性を今更、語る必要は無かろう。街中で駐車場を探す手間もないし環境にも優しい。郊外を駆け抜ける心地よさも格別である。
遡ること約三十五年前。私は留学生として中国の河南省で一年間を過ごした。現地での生活が始まって数か月経った頃、先輩の学生から自転車を譲り受けた。以来その黒くて重い無骨なデザインの自転車は私の留学生活を支える相棒となった。
とある休日。クラスメイト達とサイクリングを企画した。行先は世界遺産にも登録された龍門石窟。敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並び称される中国三大石窟のひとつである。
私は片道約二時間ほどの行程と予想されるそのサイクリングに一人の若い女性教師を誘った。
背の低い華奢な彼女が乗っていたのは赤い車体の小径ホイール車。郊外に出る頃には集団から離され始めた。私は彼女の傍に寄り添い目的地に到着するまでペダルを踏んだ。そして、その横顔を覗き見ながらしゃべり続けた。帰路も同様。疲れなど感じる筈はない。美しく聡明な彼女との時間がいつまでも続いてほしいと願いながらの道中だったであろう。
彼方まで続くポプラ並木。ボンネットトラックが巻き上げる砂埃。弥勒菩薩の微笑。教師の横顔、笑声、馬尾辫(ポニーテール)。あの日のサイクリングは今も忘れられない「旅」のひとつである。
その後、あの黒い自転車はどうしたのだろう。全く思い出せないが私の「愛車」を引き継いだ誰かの記憶の中にも美しい轍を刻んだであろうと信じている。