私、そして私達家族の日々
2023-06-27T08:27:42+09:00
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私的な出来事や、お仕事(ツチダスピードショップ)のニュースなど気ままに更新します
Excite Blog
自転車あれこれ…
http://kazusanya.exblog.jp/33318599/
2023-06-27T08:22:00+09:00
2023-06-27T08:27:42+09:00
2023-06-27T08:27:42+09:00
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私は所謂、自転車マニアではない。今、常用している自転車も息子のおさがり。中学進学時、私の父母が入学祝にと、買ってくれたものだ。しかし高校に入学後はカラフルな車体色の軽快車に買い換えた。以降、私の相棒となってからでも既に十三年が経つ。通学仕様のため少々重いが、その分とても堅牢に作られている。タイヤを何度か交換した程度でクランクや車軸など回転部も新車時と変わらぬ滑らかさを保っている。日本の自転車メーカーの技術力には心から脱帽したい。
自転車の利便性を今更、語る必要は無かろう。街中で駐車場を探す手間もないし環境にも優しい。郊外を駆け抜ける心地よさも格別である。
遡ること約三十五年前。私は留学生として中国の河南省で一年間を過ごした。現地での生活が始まって数か月経った頃、先輩の学生から自転車を譲り受けた。以来その黒くて重い無骨なデザインの自転車は私の留学生活を支える相棒となった。
とある休日。クラスメイト達とサイクリングを企画した。行先は世界遺産にも登録された龍門石窟。敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並び称される中国三大石窟のひとつである。
私は片道約二時間ほどの行程と予想されるそのサイクリングに一人の若い女性教師を誘った。
背の低い華奢な彼女が乗っていたのは赤い車体の小径ホイール車。郊外に出る頃には集団から離され始めた。私は彼女の傍に寄り添い目的地に到着するまでペダルを踏んだ。そして、その横顔を覗き見ながらしゃべり続けた。帰路も同様。疲れなど感じる筈はない。美しく聡明な彼女との時間がいつまでも続いてほしいと願いながらの道中だったであろう。
彼方まで続くポプラ並木。ボンネットトラックが巻き上げる砂埃。弥勒菩薩の微笑。教師の横顔、笑声、馬尾辫(ポニーテール)。あの日のサイクリングは今も忘れられない「旅」のひとつである。
その後、あの黒い自転車はどうしたのだろう。全く思い出せないが私の「愛車」を引き継いだ誰かの記憶の中にも美しい轍を刻んだであろうと信じている。]]>
半世紀…
http://kazusanya.exblog.jp/33306233/
2023-06-19T09:31:00+09:00
2023-06-19T09:31:44+09:00
2023-06-19T09:31:44+09:00
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しかしそのエンジンポンプ…。製造年は確認してないけど相当古いものです。半世紀くらい経ってるんじゃないかなぁ…。でもまだ整備したら動いてくれる。最新の機材は将来的にどうなんじゃろ?
コンピュータや電子センサーで正確に簡単に操作出来るけど、半世紀後には…。おそらく廃棄物と化すでしょう。そんなにかからないのかもしれない。技術の進歩って大切なことだし否定も出来ません。でもここまで変化や進歩の速度が上がってしまうと、人類は「可能な限りのブレーキをかけながら進む!」くらいの心がけこそ求められているのではと感じます。技術だけではなく、様々な社会変化、価値観など変えないように抵抗しててもどんどん変わっていくのですから。変化の速度と幸福度は必ずしも比例しません。人は幸せになるために生まれた筈。進化や変化の犠牲、人柱になるためじゃないよな…とか、そんなこと考えながら自転車に乗って奉還町の銭湯へ。やっぱ大きなお風呂は気持ちいいですわ。450円也。
帰路は夕焼けを追いかけながら。暑かったけど、ちょっと疲れたけど…やっぱ休日って大切てすね。
写真は私が保育園に通ってた時のもの。あれから既に半世紀。時が経つのは速いものですな…。]]>
もうすぐ新車…笑
http://kazusanya.exblog.jp/33299588/
2023-06-14T13:36:00+09:00
2023-06-14T13:36:54+09:00
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先ずはオイルを抜き取るべくドレンボルトを外しても…オイル無いじゃん笑
シリンダー抜いてみると、ピストンはカサカサ…。これでとにかくも動いてた!って事実に感動!カブは偉大ですなぁ…脱帽!
ついでにオイルが漏れてたクランクのオイルシールも交換。さてどこまで走ってくれるのか…期待しましょう!
近年、排ガス云々で現行機種の継続生産が難しくないなってます。でも、バイクなんか規制しても…ねぇ。一人や二人でミニバン乗り回したり、ちょっと暑くなったらすぐにエアコン使ったりする方が自然界やインフラへのダメージ大きいと思うんですけどね。]]>
夕焼けの下で…
http://kazusanya.exblog.jp/33293953/
2023-06-10T07:55:00+09:00
2023-06-10T07:56:37+09:00
2023-06-10T07:56:37+09:00
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特に父と息子は成長過程のある時期から距離が遠のきます。好き嫌いとかの問題ではなく種としての本能にも左右されてるのだと感じます。
私と息子も然り。仲が悪いわけではないけど、改めて会話することはありません。たまに帰ってきても、おう!とか、あぁ…程度。でも表情見れば分かります。元気で、仕事にやりがいを持てて、夫婦仲良かったらそれで文句なしです。
彼の中に私との記憶はどの様に刻まれているのでしょう。改めて聞くこともないけど、人生のどこかで二人肩を並べて夕焼けを見上げることがあるかもしれません。]]>
イートインスペースにて
http://kazusanya.exblog.jp/33291546/
2023-06-08T09:45:00+09:00
2023-06-08T09:46:01+09:00
2023-06-08T09:46:01+09:00
cr80b1
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高校時代、学校の近くにもローソンが開店。物珍しさとステキな女性店員さん目当てに足繁く通いましたが、あの店も実は相当早い時期に開店してたんですね。
あれから40年…。中年になった今でも時々利用します。帰宅途中に酒を買うこともあるし、最近は家で消費する野菜の仕入先としても重宝しています。
写真は先日、立ち寄った市内のコンビニ…。閉鎖されてたイートインスペースに「日常」が戻ってきました。
ワクチン、経済対策、感染予防、社会封鎖…何が正解で、何が間違いだったのか?先端科学や情報処理技術もさることながら、正しく検証されるには我々人類が「時間」という見えない存在を通り抜ける必要がありそうです。その時間は人類にとって「消費」なのか「消耗」なのか…。
将来、我々はあのコロナ禍をどう振り返るのだろう。イートインスペースでペーパーカップのコーヒーを飲みながら「日常」に浸ってみるのも面白そうですね。]]>
1986年…か
http://kazusanya.exblog.jp/33284662/
2023-06-03T07:53:00+09:00
2023-06-03T07:54:40+09:00
2023-06-03T07:54:40+09:00
cr80b1
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その帰り道、スーパーの駐車場で発見。キャリアカーに積まれてたのは…二世代目のソアラ。
別にクルマ好きではありません。このテの車が欲しいと思ったこともありません。しかし当時、免許を取得したばかりの学生にとってある種の憧れはありました。それは…クルマ自体にではありません。ソアラこそがナンパの最強itemsの如く思われてたからです笑。
「ワシらもソアラに乗ったら彼女ができるんかのぉ」
友人たちとそんなこと言いながら夜毎、酒を飲んでました。
私の周囲にはソアラを買ったヤツはいませんでした。世の中はバブル絶好調。カネの問題はクリヤー出来たかもしれないけど、皆、クルマに対してそこまでの情熱を持てなかったことと、「クルマに釣られる女やこう相手にせんでもええんじゃ」みたいな意地もあった様に感じます。結果、さほど華やかな青春時代ではありませんでしたが。
キャリアカーに載せられたソアラの車内には、どんなドラマの記憶が染み込んでいるのだろう。
1986年…か。あなたはどこで何をしてましたか?]]>
連休の一日
http://kazusanya.exblog.jp/33248622/
2023-05-08T11:18:00+09:00
2023-05-08T11:19:51+09:00
2023-05-08T11:19:51+09:00
cr80b1
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一昨日、浜省ファン同級生5人で映画の鑑賞に行ってきました。
1988年に開催された伝説のライブが全国の劇場で上映されてます。折角なら初日に!ってことで。
耳に馴染んだ曲、若き浜田省吾、そして私的には、映像の中に映り込むオーディエンスの姿に目頭が熱くなりました。
88年。当時21才だった我々5人。静岡で行われたライブ会場に行った者はいません。しかし聴衆の中に我々の姿が重なるのです。
就職した、車を買った、ドライブに出かけた、夜通しバカ話しながら酒を飲んだ…。
誰もケイタイとか持ってない。でも集まって騒ぐことに何ら不便も無かった。そして何より…楽しかった!
映画を見終えた後は地元の居酒屋へ移動。皆、昔のことたくさん覚えてる。重なる記憶もあれば、覚えてねぇわ…となる話題もある。
別れ難くカラオケ屋に移動して2時間の熱唱、選曲は全て浜田省吾。
日付も変ったころ、ミヤちゃん曰く…
「あの頃はこんな時間からでも大阪行ったりしたよなぁ…」
若さは偉大也!と痛感。ヘロヘロ、フラフラで家路を辿りました。
また会おうで!また飲もうで!On the road!]]>
温暖化あれこれ…
http://kazusanya.exblog.jp/33200605/
2023-04-12T19:56:00+09:00
2023-04-12T19:57:18+09:00
2023-04-12T19:57:18+09:00
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この温暖化…平均気温、海面温度など様々な機関が発表してる数値以上に進んでる気がしてなりません。もしかしたら…本当のことが言えないレベルなのかも。
今更、根本的な解決策は無いのでしょう。何しろ人間の欲望は無限ですから…でもね…。
人類がもう少し早寝早起きして、不便に対して寛容になれたら世界は変わるのかな?って思ってます。
改善は期待できないかもしれない…でも少なくとも「現状」を次世代に伝えるのは我々世代の義務なのかな?って思ってます。
ってことで今夜も歩いて帰ろう(笑)]]>
雲の南より…
http://kazusanya.exblog.jp/33196699/
2023-04-11T07:25:00+09:00
2023-04-11T07:39:09+09:00
2023-04-11T07:33:49+09:00
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タイトル 西双版纳から届いたエアメール
世の中にデジタルカメラ、更には携帯電話という利器が登場して以来、写真を撮る機会は格段に増えた。今思えばその昔、フィルムカメラの時代には現像やプリント代金も気になり、シャッターを押すという行為にもそれなりの気合が込められていた様に感じる。
1987年4月から1988年3月までの一年間、河南省洛陽市に語学留学した。当時の中国ではカメラを所有していない方も多かった。それ故、観光地や景勝地に行くと出張写真屋さんが店を構え記念写真を撮ってくれる商売が繁盛していた。カメラが一台有ればすぐに開業できるのも魅力だったのだろう。若い「経営者」も多かった。
留学が決まり日本を発つ折、父は愛用のカメラを持たせてくれた。当時でも既に相当年季の入った物だった。そのファインダーを覗きながら一枚、また一枚と写した写真は自室の押入れの中で眠っている。出会った方を撮影した際にはその住所を聞いて後日郵送した。それが縁で帰国後も文通の続いた方もいた。しかしその線もいつの日か途絶えてしまった。
インターネットなど普及する以前。離れた人と人の心を繋ぐ術が文通のみに限られていたあの頃故、仕方のないことだ。しかし私の送った写真が曽遊の地で今を生きる人々のアルバムに収まっているかもしれない。そう思えば嬉しい気持ちになる。
私も思い出が恋しくなるとアルバムを取り出し暫し時空を超えた旅を楽しんでいる。そしてそれらの写真に写る風景や日付、まだ幼ささえ残る自身の顔を見る度に歳月の流れる速さに驚かされる。気付けばあれからもう三十五年が経ってしまったのだ。
カリキュラムを終えてビザが満了するまで一か月半程の期間を使って雲南省を旅した。最後の訪問地となったのは西双版納。省都の昆明からバスに乗り途中の町で二泊を要する行程だったと記憶している。旅の夜を過ごした町の名前を記録しなかったことは悔やまれるが、乗客の方々と一緒に過ごした時間は何とも楽しいものであった。
いよいよ西双版納に到着。熱帯ならではの植物や果物と眩しい太陽、民族衣装を纏った少数民族の人々の姿を目にし、ここも中国か!と驚きながら約一週間を過ごした。 美しい寺院や美味しい料理もさることながら最も深く思い出に残ったのは、一人の青年との出会いだったと言える。
昆明に戻る前夜。南国ならではの空気に名残惜しさを感じながら、街を散歩していた。ロータリー交差点近くにあった公園のベンチに座って時間を過ごしていた時、その青年が声をかけてきたのだ。
「写真を撮らないか?」 例の出張写真業者だ。いつもは旅先で声をかけられても断っていたが、その時は何故か撮ってもらうのも悪くないと思えた。自由な旅の最終章を迎えつつある自身の姿を現地に生まれ育った青年のカメラで撮影してもらうという行為自体に魅力を感じたのだろう。そして私を見て中国人だと思ってくれたことも嬉しかった。
そこで自分が外国人であること。そしてこれから昆明に戻り香港経由で日本に帰国することを伝えた。勿論、エアメールでの送付をお願いする故、国内郵便との差額は負担するつもりであることも合わせて伝え彼の反応を待った。
暫く思案した後、承諾してくれた。彼にとっては初めての外国人客。そして初めて送るエアメールとのこと。しかし私はその時、彼の風体も含め日本まで届かなくても仕方ないとも思っていた。或る種の賭けを楽しむ心境に似てたとも言えようか。
撮影後、彼は私の傍に座り込んだ。そして二人で暫くおしゃべりをした。将来の夢、交際している女性のことなど。国や民族は違っても若者同士が交わす会話の内容など大差あるものではない。 やがて夜も更けた。写真代を含めてもおそらく300円程度だったであろう代金を渡し公園を離れ投宿していた招待所に戻った。
それから約一週間後、日本での生活が始まっていた。訪中経験の無い家族や友人からの質問攻めの日々が暫く続いた。母校へ復学の手続きを済ませ新しい学期の授業にも慣れてきた頃、一通のエアメールを受け取った。
それまでにも恩師や中国の学生達から何通かの封書が届いていた。今日は誰からの郵便だろう?と思いながら薄茶色の封書を見て驚いた。送り主はあの出張写真屋の青年だったのだ。
早速開封してみると、小さな噴水の横に立つ私の写真。そして便せんに書かれたメッセージも添えられていた。
無事届いた嬉しさもさることながら些かでも青年のことを疑った自分の小ささを恥じた。
その後も多くの国を訪ねる機会を得た。沢山の写真がアルバムに収まっているが、雲南省の最南端、西双版納から届いた一枚は私にとって特別な存在となっている。その写真は青春時代の一時期を過ごした中国という国が私に届けてくれた贈り物の様にも思えるのだ。
35年前。当時まだ20歳の学生だった私が写真の中では色あせることなく少し首を傾けてポーズをとっている。
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10,000円は嬉しいよ
http://kazusanya.exblog.jp/33196676/
2023-04-11T07:09:00+09:00
2023-04-11T07:10:19+09:00
2023-04-11T07:10:19+09:00
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こちらのVストのオーナーは女性。足つき性改善の為にHYPER PROのスプリングキットを組込んでローダウン化、シートは純正オプションのダウンシート。そしてサイドスタンド使用時の角度を変えるべく同車GSR用のものに交換。これ結構お勧めです。
この度はETCの装着でお預かりしました。ツーリングが、より安全、快適になることでしょう。
実は…現在ETC導入キャンペーン実施中!10,000円が助成されますので、ご検討中の方は是非!]]>
嬉しくもありまた…
http://kazusanya.exblog.jp/32544756/
2022-11-28T11:19:00+09:00
2022-11-28T11:20:09+09:00
2022-11-28T11:20:09+09:00
cr80b1
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短歌が入選、俳句は選外掲載という結果。随筆一本で勝負に出た私の師匠も選外で肩を落とされてます。とりあえず私は表彰式に出席できますが何となく気分の重さを感じてます。
選外となれば公開も自由なので…。よろしければご一読くださいませ。青春の甘い記憶です…。
王城の追憶
近年、名前の横に年齢を書き込む度、その数字の大きさに愕然とする。こんなに長く生きてきたのか、と。
どうやら私の齢は既に初老と呼ばれる域に入っているらしい。まだ初が付いているとは言え暫くは老の文字から目を逸らしていたい心境である。しかしその「老」とやらを盾に綴ってみたいテーマもある。もう会うことは無かろう異性との思い出。そんな昔日の記憶に遊んでみるのも許される頃かと思いペンを執った。私の青春、たまゆらの記憶である。
哈密瓜という果物をご存じだろうか。果肉はオレンジ色で形はラグビーボールに似ている。中国北西部、新疆ウイグル自治区の産品で名称中の哈密は主たる産地の地名である。
芳醇かつ上品な甘さもさることながら私にとって哈密瓜という名の響きは、遠く過ぎ去った時代の忘れ難い情景を連想させる。
私の通った小学校のロビーには子供の背丈程もある巨大な地球儀が置かれていた。その地球儀を回す度に中国という隣国の大きさと自国の小ささに驚かされた。人口や面積、国境線の長さ等を具体的な数字で理解したのは中学生になってからだろう。更に月日は流れ十九歳になった私は中国の小都市の大学に籍を置き留学生としての日々を送っていた。
時代は十九八〇年代の後半。基本的な衣食住に不自由は無かったが時には多少の不便と付き合うことも強いられた。それも今となれば笑って振り返られる程度のことだ。
ある夏の昼下がり。その日、私は教科担任の若い女性教師と二人で街を歩いていた。昼食を済ませた後も、おしゃべりしながら屋台の並んだその界隈の散策を楽しんだ。
羊肉の串焼き、麺類、梅シロップを使った清涼飲料、そして果物を売る店も多かった。その一軒で哈密瓜を見つけ値段を尋ねた。
「おじさん!哈密瓜は幾らなの?」
店主がその金額を口にした途端、私の傍らにいた教師と店主の戦いが始まったのだ。
普段から活発な彼女は売り手の店主に負けない声量と押しの強さで値段交渉を続けた。
最終的にいくらで買ったのかは記憶にないし、どちらが支払ったのかも思い出せない。しかし当初の言い値より安く買えたのだろう。「商談成立」後の教師の顔は満足そうだった。
実を言えば当時の私は美しく聡明な彼女に対して恋心にも近い憧れを感じていた。いや、恋心そのものだったと言うべきだろう。勿論、私の単相思(片思い)で、その気持ちを伝えることなく留学期間を終え帰国した。
以来、哈密瓜を食べたことはない。その教師にも会えてない。既に三十五年の歳月が過ぎた。
哈密は中国語でハーミーと発音する。西域の匂いを感じさせるその名を呟く度に果肉の色や甘さが思い出される。そして同時に勝利路と呼ばれた屋台街の雑踏や、嬉しそうに哈密瓜を抱えて歩く若き日の彼女の姿が脳裏に浮かんでくるのだ。]]>
ボタンひとつ…
http://kazusanya.exblog.jp/32513851/
2022-11-19T08:34:00+09:00
2022-11-19T08:36:20+09:00
2022-11-19T08:36:20+09:00
cr80b1
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そのボタンは地元中学の制服に使われるもの。じゃれ合いながら通学する生徒の学生服からちぎれ落ちたのだろう。その大きさから袖口用だと察せられる。同校は私にとっての母校でもある。手のひらに収めたボタン上に刻まれた校章を懐かしく眺めながら自身が中学生だった時代に思いを馳せた。髪の毛が薄くなり、気づけば鏡の前でため息をついている初老の私も四十年前は中学だったのだ。
語れば長くなるので割愛するが、ある「事件」以来、全ての学業から目を背けた。宿題、提出物、試験勉強…全て無視。その結果、成績は惨憺たるものだったが学校は好きだった。毎朝、早くから登校した。賑やかな仲間達と過ごす時間も楽しかったが誰もいない教室で過ごす静謐な時間に心地良さを感じていたのだと思う。
傍らを通り過ぎて行く中学生達の姿、そして一センチ程のボタンを眺めながら、やけくそと開き直りの中に過ごした中学時代を思い出した。それでも許されるのが青春を生きる若者が持つことの許される特権だと言いたい。]]>
耳の物語
http://kazusanya.exblog.jp/32498378/
2022-11-15T09:16:00+09:00
2022-11-15T09:17:46+09:00
2022-11-15T09:17:46+09:00
cr80b1
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氏の文章を読んでいつも感じるのは、その飛び抜けた思考回路の回転速度に筆が送れまいと足掻いている様な騒がしさである。
残念なから凡庸に生まれ育った私は終始「駆け足」しながら文面を追いかけることとなる。しかし駆け足しながら、時に息切れを感じながらでも追走したくなる魅力に満ちている。素晴らしい!オーパ!
その中でも戦後の闇市で飲み屋の手伝いをしてた友人との邂逅、そして生涯の友人となった谷沢永一との出会いや行き来について書かれた件は秀逸であり心を打たれた。そもそも薄い文庫本ではあるが、この数十ページに目を通せただけでも百円の何倍に換算すれば妥当なのか分からない程の大きな価値があった。あくまで私にとっては…である。
写真はその一部を抜粋。谷沢にいきなり絶交を言い渡された時の開高健少年の心境。確かにそうだ。人と人とが長く繋がることの難しさを改めて感じながら何度も読み返した…。]]>
星を見上げて…
http://kazusanya.exblog.jp/32495445/
2022-11-14T13:24:00+09:00
2022-11-14T13:25:19+09:00
2022-11-14T13:25:19+09:00
cr80b1
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父方の親族は皆、筋金入りのヘビースモーカーだが好んで酒を飲む者はいなかった。葬儀や法要の席でも食事のみが提供され、飲み物はお茶と子供用のジュースが用意されるのみ。今もそれは変わらない。
母方の親族には祖父を含め酒を嗜む者が少なからずいた様だが、冠婚葬祭等での付き合いは薄かった。
母校の中学は隣接する二校の小学校が一緒になりクラスが編成された。思春期の入り口に立った少年少女達は新しい友人を持つことになる。その中の一人「S」とは入学したての頃に知り合い今に至る。既に四十年以上の付き合いになってしまった。
以下は大きな声で言えないが時代背景や過ぎた時間を考慮して寛大な気持ちで読み進めていただきたい。
付き合いが始まってしばらく経った頃、彼の家へ遊びに行った。Sは父親の書斎からウィスキーを持ってきた。
「これをジュースで薄めて飲んだらうめぇんじゃ」
断るのも格好がつかず一緒に何杯か飲んだ。当然であるが酔っ払ってしまった。しかし不思議なことに不快感は無かった。美味いと感じたかどうかは別として、これが酒なのか、酔うという状態なのかと新鮮な感動を味わった。
学生時代、独身時代それぞれに酒との付き合い方は変化していった。
合法的に飲める様になった頃は折しもバブル経済絶頂期。それなりに可処分所得もあっので外飲みの機会も多かった。酒を提げて友人の家に押しかけ飲み明かしたりもした。美しい女性が侍ってくれる店に通ったこともある。その後、妻帯し子供が生まれると飲み方も変わってくる。妻に安い酒を買ってもらい夕食のおかずを肴に妻の愚痴や子供たちの嬌声を聴きながら飲むことになる。勿論、それも幸せなひと時だったと言いたい。その子供たちも成人し家を離れた。三交代のシフトで働く妻と過ごす時間も無くなった。近年は食卓で一人静かに夕食を摂ることが多い。これも家族の成長と思っている。
仕事を終えた帰り道。スーパーやコンビニに寄り酒を買うことが増えた。夏なら第三のビール、それ以外の季節は専ら一合入りの清酒。どちらも百円前後の代物である。
レジで会計を済ませ店の敷地を離れたところで封を切る。そしてそこからのんびりと「歩き飲み」を楽しむ。
飲み歩きという言葉は世間に親炙されている。何件かの店を飲み歩く意であることはご存知かと思う。しかし歩き飲みという言い方はあまり聞かない。通用するのかどうか解らないが今の私は明らかに飲み歩きではなく「歩き飲み」の愛好者と言えよう。
共に二つの動作が重なって出来た言葉だが、ニュアンスも実態もかなり異なる。後者には些かの後ろめたさも感じるが、一度味をしめるとその爽快感や経済性の魅力は中々に捨てがたい。
先ずはその爽快感。カップ酒のフタを開け口に含む。安い酒でも開封したての新鮮な香りは日の経った吟醸酒に負けずとも劣らない。
そして飲み干す時に見上げる対象も違う。酒場や家ならその味気ない天井だが歩き飲みであれば季節ごと天気ごとそして時間ごとに異なる表情が迎えてくれる。勿論、帰路であれば星空となる。
中国語で飲み歩きは「一边走一边喝」と表現する。歩き飲みならその前半と後半が入れ替わる。しかしその意味や行動は変わらない。そもそも中国では一般的に飲み屋をハシゴする習慣が無い。歩きながら酒を飲んでいると捉えられるだろう。因みに中国語で「走」は歩く動作を表す。走るに相当する動詞は「跑」。パオと発音する。「歩」は動詞ではなくあくまで進行状態を説明する量詞として存在している。その様な相違も外国語を学ぶ面白さかと思っている。
ともかく酒である。今夜も天気は良さそうだ。酒を飲んで見上げる夜空を楽しみに労働に勤しもう。
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母語と筆癖
http://kazusanya.exblog.jp/32425482/
2022-10-26T09:43:00+09:00
2022-10-26T09:44:22+09:00
2022-10-26T09:44:22+09:00
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言語や文字も然り。十代最後の夏を過ごした中国の内モンゴル自治区で使われているモンゴル文字も次世代への継続が難しくなっていると知った。中国語がモンゴル語や縦文字の存在を圧倒しているのだ。
モンゴル国ではモンゴル語が公用語である。教育機関もモンゴル語で授業を行うが文字は伝統の縦文字ではなくキリル文字を使用している。
民族固有の文字からアルファベットに文字が移行した例は少なくない。アジアでもベトナム、インドネシアなどが思い浮かぶ。
私は初めてモンゴルの文字を見た時の衝撃を今も忘れない。文字の面構えに男性的なものと女性的なものがあるとすればモンゴル文字からは明らかな男性を感じる。勇壮という表現も似合おうか。世界的に珍しい縦書きであることも日本語との共通点だ。
冒頭触れた旅の途中、国境近くの小さな街に滞在した。街よりも「町」と書く方が相応しいのかも知れない。東西南北…街角からどの方角に歩いても十分もかからず道は草原に消える。
その街で一人の女性と知り合った。別れ際お互いのアドレスを交換し文通を始めた。「美しい浮草」という意味の名に相応しい凛とした気品を感じさせる彼女との文通は何年も続いた。別にお互いが異性として惹かれたわけでもない。今思えば不思議なやり取りであった。
彼女からの手紙に限らず、私は今まで受け取った手紙や葉書の殆どを保管している。
先日、久しぶりに「美しい浮草」からの手紙を開いてみた。文末には八十年代後半から九十年代前半の日付が記されている。
残念ながら私はモンゴル語を解さない。お互いのやり取りその全てが中国語で交わされた。しかし私は彼女の書いた字体にモンゴルの風を感じ得る。今もそして当時もである。
上手いとか下手ではなく、平素モンゴル縦文字を使用する者だけが持つ筆癖が漢字にも表れていると思えるのだ。
消えつつあるモンゴル縦文字だが、それ以前に筆跡やら筆癖などという言葉自体も無くなってしまうのかも知れない。何しろ小学生からタブレット端末で言語を吸収し発信してゆく時代なのだから。
今、彼女はどこでどんな生活を送っているのだろう。インターネットにアクセスすればその街の様子を見ることが出来る。しかしそこには一片の面影も残されていない。発展や進歩は破壊を伴うものだと思い知らされる。
三十年以上を隔てた彼女の文字から旅の記憶と草原の匂いが蘇ってきた。
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